作家たちが残した、パリについての「断章」
パリを題材にした小説やエッセー、ノンフィクションなどから、パリについて思いをはせたり、パリでの暮らしだったり、主人公が感じたパリというもの、などなど・・。
図書館や書棚の奥から引っ張り出してきた名著の中から、心に残るフレーズを見つけました。
「腕一本 巴里の横顔 藤田嗣治エッセイ選」藤田嗣治 2
“Bura Ixtupon(With one Arm)” Léonard Foujita 2
共和祭
何といってもパリで一番大きな年中行事は、七月十四日、共和祭の日であろう。カトルス・ジユイエの名で知られている。十三、十四、十五の三日間、夜も昼も打つ通しのお祭りである。街の四ツ角には、日本のお祭に見るような、粗末な舞台のようなものが出来て、そこで、プカプカドンドンと楽隊が始まるのだ。
すると青年老人子供の差別なく、てんでに相手を見つけて踊り出す。
面白いのは何しろ電車も自動車も通る大通りのことだ、巡査は忽ち、それらの車を止めて、踊りの終るのを待つといった有様だ。
近所のカフェでも、歩道にギツシリ椅子を並べて、そこでビールなり、葡萄酒なり、但しはヴィシィ、リモナーデを飲ませる。飲んでは踊り、踊つては飲み、やがて夜も明けようという寸法だ。
この日ばかりは、何所を歩いても夜明しで、パスティユの塔には、アカアカと革命の火が燃えるのである。
~藤田嗣治「腕一本 巴里の横顔 藤田嗣治エッセイ選」から
◆藤田嗣治/レオナール・フジタ(Léonard Foujita 1886/明治19-1968/昭和43)東京生まれ。1955年フランス国籍を取得し、同年日本国籍を抹消した。1913年単身フランスに渡りモンパルナスでピカソやモディリアーニらと交友。1923年「五人の裸婦」が「乳白色の肌」と絶賛される。「モンパルナスのキキ」と親交が始まったのもこのころだった。
オペラ座近くの「伴野商店」が1923年に発行したパリの地下鉄案内図(Photo/BnF Gallica)
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