作家たちが残した、パリについての「断章」
パリを題材にした小説やエッセー、ノンフィクションなどから、パリについて思いをはせたり、パリでの暮らしだったり、主人公が感じたパリというもの、などなど・・。 図書館や書棚の奥から引っ張り出してきた名著の中から、心に残るフレーズを見つけました。「モンパルナスのKIKI」KIKI/アリス・プラン “Les souvenirs de Kiki” Alice Prin
わたしの最初の仕事十三歳になった。 わたしは永久に学校を去ったばかりだった。わたしは読むことも、勘定する乙とも 覚えた・・・それで充分だった! わたしは週給五十サンチームで仮綴じ工の見習になった。わたしはしばらく働いた が、母の友だちが、兵隊靴の修理工場へ行けば、わたしでも三フランの日給が取れ ると教えてくれた。 戦争が始まっていたのだ。 消毒するために戦線から送られてくる靴が、こんどは油のなかにつけて、革を柔ら かくするために工場へ回ってくる。わたしはその靴を木の型の上に置いて、槌で叩 いて格好を直すのである。そのあとで、わたしは他の仕事もいろいろやった。熔接、 飛行船、飛行機、榴弾など。 母とわたしはかつかつに暮らせるだけのものは稼ぐことができた。モンパルナスのただなかに! ・・・わたしはカンパーニュ=プルミエ町のロザリーの店へ食事に通った。あそこではスープしか食べなかった。一杯のスープに六スーしか金を使わないというずうずうしさを通したために、時として口ぎたなく罵られるようなこともあった。 ・・・彼女をいちばん困らせたお客はモディリアニだった。彼はわたしを足の先きから頭の先きまで身ぶるいさせるような声でぶつぶつ不平を並べながら時聞をつぶしていた。 しかしなんという美男子で彼はあったことか! ユトリロもまた姿を見せた。しかし彼についてはわたしは思い出すことはあまりない。ただ一つ覚えているのは、彼のために一度だけポーズを取ったとき、どんな絵ができたのかと見てみると、小さい田舎家が一軒描かれているのを見て呆気にとられたことである。~KIKI 「モンパルナスのKIKI」から◆KIKI/アリス・プラン(AlicePrin1901-1953)「モンパルナスのキキ」と言われ伝 説となった女性。画家の藤田嗣治やキスリングらのモデルとしてよく知られている。ナイトクラブ「ル・ジョッケー」の歌手や女優、画家としても活躍した。自伝著書「モンパルナスのKIKI(1929年)」(日本語版 美術公論社 1980年)には、藤田嗣治が「わが友キキ」と題して序文を寄せている。![]()
アジェはこの通りに1879年から1927年まで住んだ。(写真中央ビル)
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