「ねむれ巴里」金子光晴

作家たちが残した、パリについての「断章」

パリを題材にした小説やエッセー、ノンフィクションなどから、パリについて思いをはせたり、パリでの暮らしだったり、主人公が感じたパリというもの、などなど・・。
図書館や書棚の奥から引っ張り出してきた名著の中から、心に残るフレーズを見つけました。

 

「ねむれ巴里」金子光晴
“Go to Sleep, Paris” Mitsuharu Kaneko

ことによるとパリは、世界のそういった連中に手品の種明しをして得意になっている腹悪なところらしくもみえてくる。すこし厚い敷布団ぐらいの高さしかないフランスのベッドに、からだすっぽりと埋もれて眠っているわれら同様のエトランジェたちに、僕としては、ただ眠れと言うより他のことばがない。パリは、よい夢をみるところではない。パリよ、眠れ、で、その眠りのなかに丸くなって犬ころのようにまたねむっていれば、それでいいのだ。
 
パリの冬は、身にこたえる。それに、煤けた霧靄のふかさも、この頃では、ロンド ン並みであるが、 ダゲール二十二番地の部屋は、ショファ・サントゥール(蒸気暖 房設備)があるので助かる。この暖房は、四つ五つの家を塊りにして、そのどこの部 屋にもゆきわたるようになっていたが、やはり、二階、三階止りで、四階からマン サールとなると、ゆきわたらない。
~金子光晴「ねむれ巴里」から
 
金子光晴(1895/明治28~1975/昭和50)
愛知県海東郡越治村(現津島市)生まれ。1930年、約半年間妻の三千代とともにパリ14区のダゲール通りに滞在。パリでは額縁造りや日本人旅行者の手伝い、行商などで生計をつないだ。後の1973年/昭和48年自伝「ねむれ巴里」を発表。「無一物の日本人がパリでできるかぎりのことは、なんでもやった」と回想している。
因みに、写真家から映画監督に転身したアニエス・ヴァルダ(1928-2019)もダゲール通りに住み、ドキュメンタリー作品「ダゲール街の人々/Daguerre」を1976年に制作した。

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